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1988年から2024年、さらにその先に向けて(その2)

更新日:2023年12月6日

1988年8月8日(いわゆるハチハチ)の日に向けて、全国から8000人になろうと言う人々が集まり、ほぼ一週間キャンプインで過ごす、いのちの祭り会場の様子は、当時まだ記憶に残っていた、ウッドストックの映画でみたシーンに似通った感動的なものでした。

もちろん様々な記録が今も残っていて、今でもそれを見ることができます。


今回行われる2024年の祭りの会場でもその記録は見ることができると思います。またウェブサイトにも上がっていますので、リンクを貼っておきますから見てください。



この時の盛り上がりの凄さゆえか、また当事者の平均年齢も若かったためか、その後いのちの祭りはほぼ毎年の様に開催され、No Nukesを訴え最後に核廃棄物処理場予定地であった、青森県六ヶ所村まで連続して開催されました。


山口富士夫 1990いのちの祭り大山 https://www.youtube.com/watch?v=cNVuY


その後大きな祭りの形では、いのちの祭りはしばらくの間開催されずにいました。しかし祭りの文化が終わった訳ではなく、むしろ全国に広がり地方地方の色彩豊かな祭りが開催されて行く様になったのです。その中には皆さんがご存知の祭り、よく行く祭りもあると思います。


あるいは亡くなった南正人・ナミさんの様にお気に入りの街、チェンマイで開催する人などもいました。その様にいのちの祭りや、なんとかの祭りと言う形で開かれる沢山の祭りは全国に祭りファンを多数生み出し、さらに当時の子供たちも成長し今では三代の家族が参加してる事すらあります。


なぜこれほどに『祭り』は人気があるのでしょうか?


第一に、お祭りと名乗る催しは、ほとんどが商業的ではない事が挙げられます。主催者も出店者もそして出演者も損得勘定抜きで、出会いや交流を楽しんでいるからではないでしょうか。金儲け主義ではないから会場の出入りも自由ですし、飲み物の持ち込みが禁止される様な事もありません。


参加者がお互いを認め合い、互いを気遣うシーンはそこここで見受けられます。かりに何かしらのバイオレンスがあったとしても、すぐにみんなが止めに入るでしょう。子供が一人で行動していても、おそらくは自宅の周りで遊ぶより安全かもしれません。


そうした場所で過ごす数日間のキャンプ生活は、ただのキャンプ生活ではありません。エンタテーメントもあるし学びもある空間、様々な話題が見知らぬ同士でも語られる場、何百キロも離れたところに住んでいる子供同士が出会い、仲良くなり、また再会する様な場それがお祭りと言う名で総称される催しの雰囲気であり、長く続く秘密でもあると思います。


一方で1995〜1996年ごろに、たとえばフジロックフェスティバルやレインボウ2000などの大規模フェスが始まり、一般の音楽ファンも野外で音楽を楽しむ機会が増え、キャンプ生活やアウトドアが広く受け入れられてゆきました。あるいはまた、野外レイブの様な最先端の音楽イベントも野外で好んで開催されました。


その様にアウトドアアクティビティの一環としての音楽イベントは、今ではすっかり身近なものとなり、音楽ファンをインドアからアウトドアに引っぱり出しています。ところが実はそれらの新しい野外イベントのほとんどに、祭りを支えていたスタッフたちが参加しているのはあまり知られていないかも知れませんね。


                                 つづく



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