top of page

カウンターカルチャーとしてのあいとへいわ(Love&Peace)


~地球サイズでエネルギーを発し続けるもの~



カウンターカルチャ—とは、

メインカルチャーに取って代わる可能性を秘めたカルチャーを指す。

近くは60s,70sのヒッピーカルチャーもその一つだ。

古くはギリシャやルネサンスなども同じなのかもしれない。

そしてそれらは成就した。

 

どこかのメディアが「ヒッピーカルチャーは死んだ」と、

夢半ばで終わったかっての学生運動のごとく決めつけたがそれは誤りだ。

ビートニクの晩年が、Hippiesたちが、Flowersたちが、

深く真剣な思索の末に掲げた世界観は、

その見識と現実性においても卓越したものであった。

 

ゆえにそれは社会に浸透していった。少しずつだが確実に。

 

戦うより愛し合うこと、大地自然を敬い共存すること、人として平等であること、

草の根からの発信、先住民族文化の知恵、そして歌い踊り、喜びを分かち合う事。

それらは今や若者たちの新たな指標となり始めているように、

世界を変え続け、祈りを実現させ続けるエネルギーの根源であり続けた。


いのちの生きる地平を開墾する世界の前衛たちは、このエネルギーを抱き、

それぞれの花を咲かせようとしている。

 

「大切なのは、愛と平和でしょ?」

の問いかけは否定しようもなく、やがてはコモンセンスとして、

言うまでもないあたりまえの事になり行く時に私たちは生きている。

 

ときに革命の成就には100年を要すると云われる。 

時の加速を無視しても、その始まりが1970年前後と遅めに設定したとしても、

愛と平和の革命は静かに進行し、2020年には50年の峠(エポック)を超えた。

更に50年を経れば、それは歴史時間の視点からは、メインカルチャーとしての輝きを放ち、

一つの時代として記述されるものとなるだろう。

 

だがその一方では抵抗勢力も存在する。 

既存権益を守ろうとする彼らは、利益のために人を殺し、大地を汚すことを厭わない。

大地を永遠に使用不可とする様な、あり得ない発電方法を復活させようとたくらみ、

自らの利益のために、人々がいがみ合い争うように仕向け、武器を売ろうとする。

 

この方向性は富の集積が始まった当時からおよそ5000年の歴史を有する。

我々が目指したものは、その5000年紀をひっくり返す革命なのだ。

私たちの祭りはまだ始まったばかりである、今新たな世代にバトンが渡される時が来た。

 

そしてヒッピーは再び云う。

 

「あいとへいわ」は死ぬことはない・・・・それはやがて世界の大半を覆う共通意識となるのだ。

yoshiaki matsuo      

閲覧数:507回0件のコメント

最新記事

すべて表示

1988年から2024年、さらにその先に向けて(その3)

88の祭りのあとに続き91年の六ヶ所村まで、毎年いのちの祭りが各地で開かれていました。89年には島根県最南端の柿木村、90年には鳥取県大山、91年には青森県六カ所村へと続きましたが、その後規模が縮小された形になり、徐々に地域化が進んで行きました。 そのあたりの経緯を、当時の祭りに欠かせない人物であり、日本のヒッピーの草分け的な存在でもあった山田塊也氏、またの名をお祭りポンちゃんと言う人の言葉で語っ

1988年から2024年、さらにその先に向けて(その2)

1988年8月8日(いわゆるハチハチ)の日に向けて、全国から8000人になろうと言う人々が集まり、ほぼ一週間キャンプインで過ごす、いのちの祭り会場の様子は、当時まだ記憶に残っていた、ウッドストックの映画でみたシーンに似通った感動的なものでした。 もちろん様々な記録が今も残っていて、今でもそれを見ることができます。 今回行われる2024年の祭りの会場でもその記録は見ることができると思います。またウェ

1988年から2024年、さらにその先に向けて(その1)

1988年、その前の年に旧ソ連時代、今はウクライナ領になりますが、チェルノブイリ原発で過酷事故が発生し世界中を震撼させました。いまから36年前の事になりますので、今では当時の状況を知らない人たちも増えましたが、私たちにとっては忘れらない事件です。 いのちの祭りを始めた人々は、実に様々な仕事や暮らしを送る全国各地の人々でした。 都会で人気雑誌を作る人たち、世界的に有名な芸術家もいれば、田舎に引っ込み

Comments


bottom of page